攻城戦の基本とコツ

1.攻城戦を行うための下準備

事前準備ができていなければ、落とせる城も落とせません

城を攻めるためには、当然準備が必要となります。いきなり「いまから城攻めいくよー」なんて言われても兵士がいなかったり、部隊が採集中、そもそも攻城に参加できる人が1桁の人数しかいない!という事態になってしまうからです。

では、具体的にどのような準備が必要なのでしょうか?その答えは以下の通りです

軍団として

・攻城日時の周知.把握(遅くても当日の朝、理想は前日までに知らせておくと良い)

・他の軍団と攻城目標が被っていないか確認

個人として

・兵士や兵装の補充、兵糧、徴兵令や時短アイテムの確保

・繁栄度を最大にキープ(場合によっては当日は休戦札貼りっぱなし)

・行軍令や上級遷都令の在庫確認。少ない場合は共同防衛がメインとなります

これらの準備ができていて最善の状態だと言えるでしょう。特に、サーバーが開放されて間もないころは攻撃目標が被ってしまうことが多いため目標が被らないように気をつける必要があります。

2.施設がある城の攻略手順

施設攻撃も相手に気付かれないように同時にするのがポイント

次は、攻城を行う手順についてです。

施設が無い場合は、同時に囲って城を一斉攻撃すれば大丈夫です。

ですが、施設がある場合施設破壊に手間取ってしまうと相手の援軍がすぐに来てしまいます。

施設破壊に手間取ってしまう原因は

・周辺に盗賊や城があるため移動距離が長くなってしまう

・施設に強い部隊が駐屯している

・施設が複数ある場合、ターゲットが分散してしまっている

などが挙げられます。

これらの原因の対策をした施設付き城への攻城手順は以下の通りです

1.攻城に参加するうち、数人が攻城する城の施設周りに移動し周辺の盗賊を討伐して施設破壊のスペースを確保する(この際、繁栄度が低い城がある場合は飛ばしておくとよい)

2.1で空いたスペースに攻城メンバーが移動。その後、施設破壊の合図と同時に1ヶ所に一斉攻撃をかける(破壊の優先順位は歩哨所→衝車営→警戒所がおすすめ)

3.施設破壊が完了し、城周り1マス目が埋まったことを確認後、攻城合図をかけて一斉攻撃をかける。

施設付きの城の場合は、施設破壊から攻城までのスピードが大事です。

施設破壊を開始した段階で、城を所持している軍団に攻撃していることがバレてしまうので、団員の誰かがログインしていると援軍を呼ばれてしまいます。

ただし、焦ってしまって城1マス目が埋まっていないのに攻城を開始すると全体のシステムメッセージで攻撃がバレてしまうので、焦らず速攻で1マス目を埋めましょう。

3.城周囲1マス目が大事な理由

城周囲1マス目は、飛ばされるとわかっていても奪い取れ!

なぜ城周囲1マス目にこだわっているのでしょうか?それは、あの場所がとても重要なマスだからです。

1マス目を取ることで

・移動時間が短くなる→城壁崩壊後、マス返しで有利になる

・1マス目を陣取っている相手に駐屯防衛の余裕を与えない

というメリットがあります。

当然、1マス目は休戦札を使うことができないので集中攻撃を受けやすく繁栄度0によるランダム遷都が発生しやすい場所です。

しかし、この場所を取れるか取れないかで攻城の結果に大きな影響が出てきますので積極的に入っていくようにしましょう。

まとめ

・事前準備(軍団・個人)はしっかりと

・攻撃を開始すると相手にバレる。相手に気づかれてからの時間を少しでも短くするために無駄のない攻撃を

・城周囲1マス目は、飛ばされる覚悟で積極的に取りに行け

諸葛亮(しょかつりょう)の評価とスキル

諸葛亮の強い点

複数ダメージ+味方のサポートができる

「諸葛亮」は、複数の「敵部隊」にダメージを与えつつ、味方のサポートができるスキルを持つ「弓兵」です。スキルで、兵力の少ない敵4部隊に「計略」ダメージを与え、さらに味方全体の「ステータス」減少効果を解除できます。

スキルでダメージを与える対象が「兵力」の少ない部隊のため、「敵部隊」の数を着実に減らせます。与えるダメージ量は「知力」に応じて変わるため、「政庁」で「軍師」に「任命」して、知力を底上げするのがおすすめです。

諸葛亮のステータス

  • 44.0「武力」
  • 92.0「統率」
  • 95.0「政治」
  • 92.0「魅力」
  • 100.0「知力」

423
総合値

4位

武力統率政治
44.0(98/129位)92.0(6/129位)95.0(4/129位)
魅力知力兵力
92.0(10/129位)100.0(1/129位)1000.0(1/129位)

諸葛亮のスキル

【臥龍破襲の効果】
兵力の最も少ない敵4武将に対して、知力165.5%の計略ダメージを与える。さらに味方全体のステータス減少効果を解除

肉まんは諸葛亮が作った?

日本人にとって非常に身近な中華料理のひとつであり、ゲーム『新三国志』などでは体力回復アイテムとして扱われているように、アツアツを口にすれば元気が出る食べ物だ。

実はこの「肉まん」、三国志演義の主役ともいえる諸葛亮(孔明)が発明したという説がある。

西暦225年、孔明が南蛮を平定し、成都へ引きあげるときに瀘水(ろすい)という河にさしかかった。すると、河が荒れ狂っていて渡れない。土地の人々に聞けば「この河には荒神がいて、時に荒れ狂います。鎮めるには49個の人間の首を捧げなければなりません」という。

孔明は「合戦で多くの人が死んだ。もう一人も殺すことはできない」とつぶやくと、料理人を呼んで小麦粉をこねて人の頭の形に作らせ、中に牛や馬の肉をつめるよう指示。それを河に供えて祈った。すると氾濫は鎮まり、蜀軍は無事に河を渡ることができた、と『三国志演義』には記されている。

これは当初、蛮族の頭を意味する「蛮頭」(ばんとう)と呼ばれたが、後に食用となり、食べ物を意味する「饅」(まん)の字に転じて「饅頭」(まんとう)と呼ぶようになった。

これが肉饅頭(肉まん)の起源であり、日本に入って来てから「頭」が「ず」と訓読みされ、「まんず」が転じて「まんじゅう」と呼ばれるようになったという。

日本で饅頭といえば小豆の餡(あんこ)が入った菓子をイメージする人が多いだろうし、肉まんは「中華まん」と呼ばれるが、どちらも中国の饅頭(まんとう)が発祥なのだ。 

日本で広く食べられるようになったのは、鎌倉時代から南北朝時代(13~14世紀)のこと。当時は仏教(肉食禁忌)の影響もあって野菜入りの饅頭が好まれたほか、お茶菓子として小豆あん入りの饅頭が作られるようになったという。

さて、三国志の時代に話を戻すが、実は「孔明が饅頭の発案者」という冒頭のエピソードは、孔明の時代より1000年も後の北宋時代に書かれた『事物紀原』に初めて記された。

それが『三国志演義』にも取り入れられて広まったため、フィクションの可能性もある。そもそも南蛮平定戦の経過は正史・三国志にはあまり記されておらず、大半が小説『三国志演義』の中での創作だからだ。

かの吉川英治氏も著作『三国志』の中で、孔明と肉まんの場面を記したあと「さて、どんなものか」と注釈を入れている。

その起源はあまりに古すぎて、結局よく分かっていないのだ。しかし、「頭」という字から察するに、元々は人の頭をかたどり、供え物として作られたのが始まりだという話は信じても良さそうである。

今の中国では中身に具が何も入っていないものを饅頭(まんとう)、あるいは花巻(ホアジュアン)といい、具入りの肉まんなどは「包子」(パオズ)と呼んで区別する。少々ややこしいが、現代でも中国の北部では米のご飯ではなく、饅頭(まんとう)を主食としている地方もあるくらいだ。

中華料理は歴史があるので色々奥深いですね・・・ そんな奥深い中華料理を学びたい方は飲食店などで働くのが手っ取り早そうです